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高学歴でも頭の悪い人が突然死するワケ・・・

   

高学歴でも頭の悪い人が突然死するワケ・・・

1: 名無しのスコールさん 2018/06/19(火) 18:39:25.00 ID:CAP_USER.net
「学歴」を獲得するためだけの勉強
これまでの日本社会では、勉強の目的は大学に入ることであり、そこがゴールでした。それは、大企業が学歴を基準として入社選抜を行ってきたからです。人気のある会社であれば、応募者を絞る必要があり、日本の企業はその目的のために「学歴」を見たのです。とりわけ、「どの大学を卒業したか」によって、応募者の能力を判断し、ふるいにかけました。

なぜそうしたかと言えば、学歴は、人間の能力を手際よく伝える指標だと考えられたからです。「本来測定したいが簡単には観察できない指標(この場合は能力)を示す代理指標として用いられる、簡単に観察できる指標」のことを「シグナル」と呼び、学歴は、能力のシグナルとして用いられてきました。

入社時の選抜で主たるシグナルとなるのは、「どの大学か」ということです。そこでの成績も考慮されるし、また、「どの学部か」も問題となります。しかし、多くの場合に重要なのは、大学名そのものです。したがって、「卒業する大学名を獲得する手段が勉強」ということになります。

このことを逆の側面から見れば、「これまでの日本社会において、大学に入学してからの勉強は、あまり重要ではなかった」ということになります。だから、学生は、いったん入学すればあまり勉強はしませんでした。いわゆる文系の場合には、特にそうです。

入社してから後の勉強は、さらに重要度が落ちました。なぜなら、シグナルが必要とされるのは、ほぼ入社時にかぎられるからです(理工系では、仕事の必要上から、新しい知識が必要になり、勉強せざるを得ない場合が多く、これは主として文系についてのことです)。

ローカルルール」に熟達すれば通用した時代
仮に労働市場が流動的で、企業間の移動が普通であれば、入社時以降にも転職・再就職の際にシグナルが必要とされます。したがって、入社時以降の勉強が必要になるでしょう。しかし、日本ではそうしたことは、まれにしか生じませんでした。

入社後に必要とされるのは、一般的・普遍的な知識ではなく、その企業に特殊な知識です。その企業における仕事を進めるための知識がまず必要ですが、それだけではありません。社内の権力関係や人間関係などについて、無知であるわけにはいかず、場合によっては、それらの知識を使って、「社内派閥のどの側につくか?」を判断することこそが重要でした。

社会人になってから後では、一般的な勉強はあまり問題とされなかったのです。特に管理者層になると、スペシャリストではなく、ジェネラリストとしての能力を要求されることが多いので、そうなりました。

こうしたことが可能だったのは、日本経済が順調に成長していたからです。そして、経済社会の基本条件が大きく変化することがなかったからです。

これまでの仕事を「破壊」するテクノロジー
ところが、ITによって、経済社会は大きく変わり、これからも変わり続けます。これまであまり技術進歩の影響を受けなかった金融部門も、フィンテック(ITを応用した金融サービス)によって大きく変わろうとしています。いま、産業革命と似た変化が起ころうとしているのです。

このため、学歴があれば安泰という考え方は、過去のものとなりました。また、学校時代に習ったことは、あっという間に陳腐化します。新しい技術の中にはディスラプター(破壊者)も多くあり、これまでやってきた仕事が、技術進歩によって消滅してしまうのです。

ディスラプターが登場する時代には、自分自身を教育し直すことが必要になります。社会の変化が急速になると、勉強し続けていないかぎり、社会の変化についていくことができなくなります。

そのためには、独学しか方法がありません。他方で、情報技術の発展によってさまざまな手段が使えるようになったので、独学のための環境は大きく改善されました。技術の進歩は、独学の必要性を高めると同時に、独学を容易にしているのです。
http://president.jp/articles/-/25406

引用元:

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